竹内まりあの実家、竹野屋旅館が、一時経営難に陥りました。何でも五代目のお兄さんの経営がうまくなかった模様。廃業や売却という話も出たのですが、竹内さんが資金面、経営面でも援助して、今年3月にリニューアルオープンしたそうです。どんな経緯だったのでしょう。

竹野屋旅館とはどんな旅館

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出典:高枕

竹野屋旅館は、明治10年から続く、島根県は、出雲大社にほど近い瀟洒な旅館です。出雲大社正面まで徒歩1分と、出雲参りをするには最適な旅館です。皇族が利用されたこともあり、格式高い旅館だそうです。

和室18、和洋室2、特別室1と、大きくも小さくもないちょうどいいサイズの旅館です。

料金は、一泊二食付きで、12,000円から

料理は、現代の名工安田政男先生の一番弟子でもある、料理長の桐原輝雄氏が、日本海の幸をふんだんに使い器にまで気を配った品の良い味付けの会席料理だそうです。出雲の名物の「出雲そば」「のどぐろ」「出雲尼子和牛肉」なども出てくるとか。山陰ならではの味を楽しむ事が出来そうです。

お家騒動の発端は

経営が悪化したのは、長男(まりやの兄)が五代目を継いでから、転落がはじまったそうです。

もともと、両親に寵愛されて育った長男、接客業の基本である、顧客ファーストが理解出来てなかったと竹内さんは言います。

その長男の趣味は、ジャズと無線とインドア派のオタク気質、従業員とのコミュニケーションが苦手で、社内の人間関係がぎくしゃくすることに。

頭を下げることができない、神経質で、細かなことで文句をいう、有能な従業員もおかしな発想を押しつけられて辞めてしまう。従業員の教育ができてないので、仲居さんのレベルもどんどん落ちていくなど、旅館の従業員が、のびのびと働くには正反対の環境になっていたようです。

最終的には、スタッフが5人まで減り、旅館営業が不可能に。宴会や結婚披露宴だけの営業で続けていたものの、宿泊はできないので、客はみんな近隣の温泉宿に流れてしまう。そういう状況だったようです。

竹内まりあが実家を救済する

竹内まりあの、強い地元愛は、よく知られていて、度々故郷に帰っているのが目撃されているほか、“平成の大遷宮”が行われた'13年には、故郷への思いを綴った唱歌『愛しきわが出雲』をプロデュースするなどをしています。

竹内まりあの旦那でもある、山下達郎も出席して、家族総出で話し合いがもたれたようです。そんな話し合いのなかで、お兄さんが退任を決意されます。

当初は廃業案や、売却案もあったのですが、結果的にみんなで資金を出し合って継続することになったそうです。兄弟の中でも比較的資金力のあったまりやが、実質的なオーナーになったとのこと。

テコ入れのために半年ほどリニューアル工事をしていたのですが、その改装費用のほとんどを、まりやさんが出したという話です。何よりも、実家の旅館が廃れていくのが耐えられなかったみたいですね。いても立ってもいられず、再建に乗り出したんでしょう(地元の住民)

結局、5代目は昨年10月に退任、兄弟の長女の娘婿である男性が6代目となりました。昨年8月から部屋の改装を始め、今年3月にリニューアルオープン。

コンサルティング会社が入ってコンセプトから練り直し、東京都内のコーヒーショップ店長や一流旅館で働いた経験のある若いスタッフを多く採用しています。

リニューアル後の業績は?

リニューアル後の業績は予想を上回る好調な数字のようです。竹内まりあも、ときどき訪れるものの、とくに指示はなく、6代目及び、従業員に任せているようです。

竹内まりあは、高校のとき、アメリカに留学させてもらい、大学は東京の大学と、してもらってばかりで、実家の旅館に何もして上げられなかった。という思いが強かったようです。

今回のオーナー就任は、そんな実家への感謝の気持ちがあってのこそかも知れません

「まりやはオーナーになったわけですから必死ですよ。最近では、毎週のように出雲へ行っては“やったね、来週も土日が埋まったみたい!”と電話がかかってきます。いきいきしているのはいいけれど、歌手活動は完全に休業状態。事務所としては困りものですけどね(笑)」(事務所社長)

当の本人は引退は否定しているとこのとなので、当面のあいだ「歌手&旅館業」の2足のわらじでいくようです。

旅行サイトのクチコミによれば、竹野屋旅館では朝に竹内まりや、夜に山下達郎の曲が流れるのだという。ファンにはたまらないサービスではないだろうか。竹内&山下ファンの聖地となれば、最盛期の賑わいを取り戻せるかもしれませんね。