永井真理子といえば、80年末〜90年代初めに活躍した、ショートカットが印象的な歌手ですが、長いあいだ、活動をお休みしていました。この度、デビュー30周年を記念して、デビュー日の7月22日に、新曲を配信リリースすることを発表しました。あわせて、アコースティックライブを、10月14,15日に東京・Last Waltz by shiosaiでおこなうことを告知しました。
永井真理子のプロフィール
- 本名:廣田 真理子(旧姓:永井)
- 生年月日: 1966年12月4日(50歳)
- 出身:静岡県御殿場市
- 学歴:日本女子体育短期大学保育科卒業
- レーベル:BLUE TONGUE
詳細な来歴は、Wikipadiaを参考いただいて、気になる点を要約してみます。
保育士を目指して、東京に上京します。
中央大学のバンドにコーラスとして参加するが、ボーカルに抜擢される。しかしバンドは解散してしまう。
音楽が諦められず、音楽事務所にデモテープを持参し、好感触を得て、即席のバンドを結成、音楽関係者にライブを見てもらうことになる。翌日には連絡があり、デビューを前提にアルバムの制作をおこなうことになる。
大学卒業後の1987年に、ファンハウス(現:アリオラジャパン)から、「oh,ムーンライト」でデビュー
1989年発売の「ミラクル・ガール」、1990年発売の「ZUTTO」が大ヒットを記録し、1991年には、第42回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
1992年8月には日本人女性アーティストとして初の神奈川・横浜スタジアムでのライブを成功させた
1993年、ステージ上で、ツアーバンド「Hysteric Mama」のギタリスト・廣田コージ(COZZi)と婚約したことを発表。1996年に長男出産
2003年に家族と共にシドニーに移住、自主レーベル「BLUE TONGUE」を立ち上げた
20013年 家族ともに帰国
2016年、歌手活動は事実上停止しているが、音楽活動は引き続き行っていると自身のブログで公表している。
永井永井真理子が絶頂期から消えた理由
2年連続の横浜スタジアムを満員にした快挙と違って、その後のライブツアーでは空席が目立ち、人気急落となってしまいました。その理由に次のような物が考えられます
・結婚したことでファンが離れた
・トレードマークのショートカットがロングヘアになって、キャラが変わってしまった。
・7枚目のアルバムあたりから、曲調がポップスからロック調に変化した。
・「応援歌」から「しんみりした歌」が多くなった。
・バブル時代似合っていた曲が、崩壊後の時代似合わなくなっていた
いろいろと理由が考えられますが、結婚をしたという自分の環境の変化と、バブルがおわったという社会の変化に、楽曲があわなくなってしまったようですね。
タイプは違えど、彼女らはその後のZARDや大黒摩季など、90年代後半のヒットシンガーに多大な影響を与えていたと思っています。
50歳という年齢、2017年という時代にどんな曲を持ってくるのでしょう。期待が膨らみます
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