昨年11月5日に、アイドル活動を卒業して、保母さんになる勉強をするというコメントを発表していた、嗣永桃子さんですが、とうとうその日が来てしまいました。6月30日に、東京・青海の特設野外会場で行ったソロコンサートをもってアイドルから卒業し、芸能界引退しました。

嗣永桃子さんのプロフィール

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引用:JONNY
  • 生年月日:1992年3月6日(25歳)
  • 出身:千葉県
  • 活動時期:2002年〜2017年
  • 所属:アップフロントプロモーション

詳しい来歴や人物像はWikipadiaを見て頂くとして、気になる点を抜き出ししてみました

2002年、ハロー!プロジェクト・キッズ オーディションに合格し、ハロー!プロジェクト・キッズの一員となる。

2004年1月14日にBerryz工房の結成メンバーとなり、同年3月3日にメジャーデビュー。

2012年12月11日の自身のブログの記事にて小学校へ教育実習へ行っていたことを明らかにした。

2014年3月、大学を卒業し幼稚園と小学校教育に関わる教育職員免許状を取得した。卒業論文では障害を持つ人々による意志伝達問題について論じた。

2015年10月10日、声帯にポリープが見つかったことが発表される。治療に専念するため、同月12日から同月18日に開催される握手会やカントリー・ガールズのライブは欠席。24日、大阪医科大学学園祭でのトークショーで活動再開[15]。11月5日に行われた「カントリー・ガールズ 結成1周年記念イベント&嗣永桃子復活祭」でコンサートに復帰。

2016年11月5日、2017年6月30日をもってカントリー・ガールズ、およびハロー!プロジェクトを卒業、芸能界を引退することをグループ結成2周年ライブで発表した。幼児教育の道へ進むとしている。

2017年6月30日、青海野外特設会場にて開催された「嗣永桃子ラストライブ ♡ありがとう おとももち♡」をもってカントリー・ガールズを卒業、芸能界を引退。ハロー!プロジェクト在籍日数は5479日であり、歴代のハロー!プロジェクトメンバー中最長である。

昨年発表になった引退のメッセージ

以下、全文引用いたしますね。

公式サイトを通じて「私、嗣永桃子は2017年6月30日をもちまして、カントリー・ガールズ及びハロー!プロジェクトを卒業します。2002年6月30日にハロー!プロジェクト・キッズオーディションに合格してから15年という節目の日に新たな道へ進もうと考え、決断しました」とコメントを発表した。

コメント全文は以下のとおり

皆さんにご報告があります。私、嗣永桃子は2017年6月30日をもちまして、カントリー・ガールズ及びハロー!プロジェクトを卒業します。2002年6月30日にハロー!プロジェクト・キッズ オーディションに合格してから15年という節目の日に新たな道へ進もうと考え、決断しました。

私はアイドルが大好きです。正確にいいますと、アイドルをしている自分自身が大好きで、ファンの皆様と過ごす毎日も大好きで、今まで心から楽しみながら活動をしてきました。それと同時に、大好きなものが「子ども」です。子どもが大好きで、もっと学びたいと思い、アイドル活動と並行しながら大学へ進学し、2012年の教育実習の経験を経て、大学卒業と同時に小学校と幼稚園の教員免許を取得しました。

2014年3月にBerryz工房が無期限の活動休止となり、カントリー・ガールズのプレイングマネージャーに就任し、結成当初より、「2、3年かけて新人のカントリー・ガールズのメンバーを一人前にしていきたい」と目標を掲げ活動してまいりました。初めてグループの中で後輩という存在ができ、毎日が新鮮で、素敵なアイドルになってほしいなという想いをこめて、1日1日大切に過ごしてきました。

カントリー・ガールズのメンバーと過ごしていく中で改めて思ったことは「人に何かを教えるって楽しい!」ということです。結成2周年を迎え、メンバーもたくましく育ち、改めて自分の未来を考えた時に、たくさん悩んだ末、以前からずっと興味があった『教育』の分野、とりわけ「幼児教育」の道に進みたいと思い、この結論を出しました。

6月30日以降は、幼児教育について改めて勉強に専念し、いずれお仕事ができればと考えています。最終日までの活動に関しては、随時お知らせしていきます。残りの時間、悔いが残らぬよう、全力で感謝の気持ちを込めてお届けしたいと思います。突然の発表となってしまいましたが、これからもカントリー・ガールズの応援、よろしくお願い致します。嗣永桃子

引用:嗣永桃子に関するお知らせ
引用:ももち 芸能界引退でコメント発表 幼児教育の道へ「教えるって楽しい!」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

新たな世界への挑戦

芸能界の現場では、あれだけ機転がきいて、トークもできるアイドルは早々いない、惜しい人を失ったという声が上がっています。バラエティでの対応力も目を見張るものがありましたよね。

芸能界での失敗はとの質問に、「思った以上に人気がでなかったこと」と回答、そんなことないですよね。十分人気があったとおもいます。目指す所が高いのですね。

教員免許は、幼稚園と小学校、両方とっていましたが、どちらの道を選ぶのでしょうね。幼児教育の道に進むといってますから、保母さんが有力でしょう。すでに免許は取得済みなので、これからは現場で覚えていくことになるのかもしれません。

なんか、Wikipadiaの抜き出しと、メッセージの引用だけの記事になってしまいましたが、新たな世界への挑戦がんばってほしいです。