ガジェット通信によると、ネット上で一部リークがあったとおり、9月4日発売の「少年ジャンプ」本紙にて「次号よりしばらくの間休載いたします」と正式に発表されました。
なぜこんなに頻繁に休載するのだろう
出典:Twiter(真ん中のメガネをかけた人が冨樫氏)
今回は、今年6月26日発売の『少年ジャンプ』30号にて約1年ぶりの連載再開を果たした同作。残念ながら、10話分を掲載したところで休載となりました。
前回は2016年4月から7月までの期間10週にわたって連載し、今年6月の再開と同時に単行本34巻が発売されたことから、今回も同じパターンだと思われます。
休載の期間は明らかになっていませんが、冨樫先生は「日清食品様に復活賞として、どん兵衛いただいたので年内にもう1回復活します<義博>」と巻末コメントを寄せています。
休載が多い理由に次のようなものがあります。
アシスタントが少ない
漫画に対するこだわりから、質を下げたくないのでアシスタントを基本使わないというので漫画を書くのが大変になっているという話があります。
冨樫さんが病気のため
ノイローゼや躁鬱と言った病気に罹患しているという話もあります。持病の腰痛が悪化したというのも考えられますね。
ゲームにはまっちゃったから
冨樫先生は無類のゲーム好きであり、RPGなどにはまると、その間、休載になってしまいます。
冨樫先生のプロフィール
後先になりましたが、Wikipadiaから冨樫先生のプロフィールをまとめてみましょう。
- 生年月日:1966年4月27日(51歳)
- 出身:山形県新庄市
- ジャンル:少年漫画
- 代表作:『幽☆遊☆白書』『レベルE』『HUNTER×HUNTER』
- 受賞:1987年:第24回 ホップ☆ステップ賞佳作(「ジュラのミヅキ」)
1993年:第39回 小学館漫画賞少年部門(『幽☆遊☆白書』)
山形大学教育学部美術学科在学中の1986年から投稿をはじめ、翌1987年(昭和62年)3月に「ジュラのミヅキ」で第24回ホップ☆ステップ賞佳作、12月に「ぶっとびストレート」で第34回手塚賞準入選をそれぞれ受賞。同年「とんだバースディプレゼント」が『週刊少年ジャンプWinter Special』に掲載され、漫画家としてデビューする。
てんで性悪キューピッド
1989年(平成元年)から『週刊少年ジャンプ』連載開始のラブコメディ「てんで性悪キューピッド」で連載デビュー。悪魔の少女とのラブコメ漫画であったが、長期連載には至らなかった。
幽☆遊☆白書
1990年から『週刊少年ジャンプ』にて「幽☆遊☆白書」を連載開始。当初は幽霊となった少年を主人公とする1話 - 数話完結の話であったが、連載途中より格闘漫画に作風を移行させた。この作品は人気を集め、1992年にはテレビアニメ化を果たしジャンプの屋台骨を支える看板作品となり、人気の衰えを見る前に連載終了。レベルE
1995年より1997年にかけては『週刊少年ジャンプ』で、不可思議な宇宙人たちを描いたシニカルなSF漫画、「レベルE」を月1で連載する。同作は連載終了から14年を経た2011年(平成23年)にテレビアニメ化されている。
HUNTER×HUNTER
1998年(平成10年)から同誌にて「HUNTER×HUNTER」の連載を開始。王道的な展開ながらも複雑な心理戦を描いた少年漫画として人気を得、1999年(平成11年)からと2011年(平成23年)の2度に渡ってテレビアニメ化されている。1999年(平成11年)1月には同じく漫画家の武内直子と結婚。この頃から頻繁に休載するようになり、2006年(平成18年)には僅か4回の掲載、2007年(平成19年)の連載再開まで79週もの休載を挟んだ。その後も断続的に掲載される形で連載が行なわれている。
再開をまとう
躁鬱の波がやってきたのか、はたまたやりたいゲームに熱中しちゃっているのか、腰痛が悪化したのか真偽のほどはわかりませんが、そういう充電期間が、冨樫先生には必要なんだとおもいます。
ファンのひとにとっては、じくちたる思いでしょうが、ここは再開作に期待してぐっとガマンをしましょう。
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